27 September 2006

医古文学術研討会

北京で「医古文学術研討会」に出席してきました。何故だか「中医薬文化」、「易学与科学」と合同です。三つの学会を通じて外国人は私一人でした。

9月23日の午前は、大会主題報告で各分会から2題、医古文は段逸山先生と私でした。私の場合はわざわざ日本から来たからと言うことでしょう。「目睹古巻子本『太素』之後再校正写本巻二十一」の題で、画像をいくつか見せたので、概ね受けは良かったと思います。出席者の中の重鎮である銭超塵教授が『太素新校正』を出したばかりで、大いに関心を示してくれたのも良い方に働いたと思います。
段先生は「一部有価値的『霊枢』刊本」の題で、つまり明刊無名氏本の紹介でした。つまり、これも日本内経医学会がらみのはなしになっています。
その他、張基成先生は「関于中医医徳規範的研究」で、これは「中医薬文化」の2題の一つだと思うけれど、まあ一応は関係が有る。もう一題はどうも中医薬の商売の話のような気がする。「易学与科学」は事実上、風水の話のようでした。
23日の午後は、分会討論交流で医古文教員が討論してました。要するに授業時間と学生の熱意の不足が悩みのようです。
24日の午前は、再び分会討論交流で、ほとんどの内容は聞き取れないのだけれど、沈澍農先生が小学の重要性を力説した後、しばらくして経学の訓詁と小学の訓詁ということを発言した人がいました。これを我々の問題に引きつけて言えば、臨床に密接な古医籍読解と、一文字にこだわる古医籍読解とでも言おうか。我々としては中医学的に『素問』、『霊枢』を読まれても困るわけで、むしろ沈先生の立場の方に共感できる。臨床との関わりは日本の針灸師には自明のことであるけれども、中医臨床と共鳴するかどうかは別問題で、経典の文字の話なら通じないでもない。
24日の午後は計9題の発言で、上海の張如青先生、これは「中医薬文化」の立場からのようでした。天津の于鉄成先生も発言したらしいけれど、分かりませんでした。彼も「中医薬文化」のグループでしたし、長く合ってませんからね。「医古文」は上海の孫文鐘先生と南京の沈澍農先生ともう一人。沈先生のは「人面器官与古代宮殿建築」でした。「易学与科学」は全くちんぷんかんぷんです。そもそも午前の分会で、だれが発言するかを決めるというやり方で、発言の内容の資料も有りませんからどうにもなりません。医古文の面々は概ね「独立した研討会を望む」という感じでしたね。