医学用語として「徴」の字が使われたとか使われなかったとか,何を言っているのかわからなかったろうと思うから,ちょっと一言だけ。
『太素』巻2順養の例の聖人は未病を治すとかいうところの楊上善注に「身病國亂,未有豪微而行道者,古之聖人也。病亂已微而散之者,賢人之道也。病亂已成而後理之者,衆人之失也。理之無益,故以穿井鑄兵無救之失以譬之也。」と言ってます。で,この「豪微」と「已微」は,ひょっとすると「豪徴」と「已徴」の誤りではないかと思うんです。仁和寺原鈔に書かれている文字は『干禄字書』に載っている「微」の通です。で,「徴」の王の部分を草書風に書いたらそんなに違わないんです。現に仁和寺原鈔には絶対に「徴」でないとおかしい箇所にも同じ形を書いています。だから,少なくとも楊上善の医学の中には,わずかに徴(しるし、きざし)が有る,すでにちゃんと徴が有る,病が成ってしまった,という診断の基準は有ると思うんです。「死徴」という表現も有るし,「見微」とあるけれど「見徴」かも知れないという箇所も有る。後にそういう表現はあまり発展しなかったかも知れないけれど,こういうのを医学領域に用例が無いと言うんですか,ということです。
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