23 February 2008

地方でも

ついでに,日本内経医学会東海教室こと讀古醫書岐黄會(どっこいしょ きこうかい)も新人を募集します。
こちらも原則として第2日曜日の午後1時~午後5時ですが,他に予定が入れば躊躇わずに変更します。場所は岐阜駅から少し南,費用は一回1000円です。教室の使用料とお茶代にあてているようです。テキスト代,例えば顧従徳本『素問』とか明刊無名氏本『霊枢』とかは勿論自己負担ですが,その他の配布資料代はそのときどきの会計の懐次第です。
内容は,今は『霊枢』を読んでいますが,なにせ少人数ですから,講師の気分と参加者の希望によって如何様にも脱線します。
別に日本内経医学会の会員でなくてもOKです。もっとも,現在は全員内経の会員のようです。確認はしてませんが。

第一クラス講座生募集

平成20年度日本内経医学会日曜講座

期日:原則として第2日曜日 午後1時~午後5時
 全10回=
 4月13日・5月11日・6月8日・7月13日・
 9月14日・10月12日・11月9日・12月14日・
 2月8日・3月8日
場所:東洋鍼灸専門学校第1校舎
定員:30名
費用:年会費11000円(日本内経医学会の年会費)
  +受講費10000円(受講料1000円の10回分)
  =合計 21000円
講義内容
第1クラス 102教室
医古文講座──荒川緑 講師 午後1時~3時
主に『素問』『霊枢』の例文をもちいて,医古文語法を学びます。王紹増編著『医古文語法』『医古文語法修辞』(黒竜江科学技術出版社)を参考に作成したプリントを配布。
訓読講座──林孝信 講師 午後3時~5時
実際の文献に当たって、主として「訓読」の方法を1年間で講義する。テキストは随時配布。
第2クラス 402教室(新規募集はしていません)
①霊枢講義──宮川浩也 講師  午後1時~3時
テキストは『霊枢』(本会発行)+『論語』+配布資料
③素問講義──岩井祐泉 講師 午後3時~5時
テキストは、『素問』(本会発行)+『老子』+配布資料
第3クラス 403教室
 灸実技 宮川浩也 講師 午前10時~12時
   4月13日・5月11日・6月8日・7月13日
 艾の鑑別から、灸頭鍼、七分灸、ほかの技術を学びます。
 4回すべて出席できるかたのみ。
受講資格
 第1クラス:社会人または学生
 第2クラス:継続受講生・第1クラス修了生
 第3クラス:第1クラス・第2クラス受講生
締め切り
 2月29日(金)まで、教務課の宮川もしくは鈴木まで、参加希望(住所・氏名・電話番号を明記)のメモを渡してください。
問い合わせ メール☞日本内経医学会事務局
〒333-0802 川口市戸塚東1-1-32(宮川方)FAX: 048-295-3029

12 January 2008

森立之寿蔵碑

『自作寿蔵之紙碑』は立之が七十五歳のときに自撰した略伝で、青山道醇などの弟子や、今村了庵・浅川宗伯そして駐日清国大使の黎庶昌といった友人がこれを祝してエッセイを寄せている。生前印刷に付されたらしいが、死後四十九日の忌に孫娘鐄の跋文が追加され、立之復元の『神農本草経』とともに友人や弟子に配られたものである。洞雲寺の墓石にもこの自伝「寿蔵之紙碑」がほぼそのまま刻されている。
 ☞森立之寿蔵碑

30 December 2007

WEBの儚さ

古典研のWEBが閉鎖されてます。契約者の井上先生が亡くなられたため,自動的にニフティとの契約が解除された,ということのようです。先生ご自身は,そういう可能性を認識なさってなかったように思います。データとかは回収できるんでしょうか。人ごとながら心配です。印刷物ならそのまま残るわけですが,こういう"架空"の媒体は気をつけないといけませんね。
内経のWEBの基本的な内容は公的機関を使用しているから大丈夫なはずですが,BLOGはGoogleだから同じようなことになるかも知れません。規約なんてろくに読んでませんからね。
あらためて,儚いですねえ。

18 December 2007

ああやっぱりお亡くなりになったのだ

井上先生を偲ぶ会に,多数のご参加をいただき感謝いたします。
この催しは,ほとんど全く,残されたもののこころの平安の為に行ったことです。
現場にいた人たちの中に,未だ偲ぶという気持ちに切り替えられない人がいるのも分からないでは有りません。けれども,我々のような過去形としてしか状況に触れ得なかったものとしては,どこかに線を引かなくてはどうにも落ち着かないということにもご理解いただきたい。偲ぶ会を曲がりなりにも催してやっと,ああやっぱりお亡くなりになったのだ,ということです。
将来において,胸をはった,開かれた「偲ぶ会」が催されたところで,所詮,「偲ぶ会などはやるな」という強い遺志をより尊重する人からは裏切りもの呼ばわりされるかも知れません。
我々の個人個人の宗教的信条は異なります。死をどう考えるかも恐らくは違うでしょう。だから,「人には知らせるな,葬儀は密葬だけにせよ,偲ぶ会なんかやるな」についての解釈もそれぞれ微妙に差が有るでしょう。
我々には偲ぶ会が必要でした。だから,やりました。いまさら,どういうつもりで没後の報告だけだったんだ,どうして密葬だけなんだ,なんて野暮なことは言いません。こういうことは究極的に個人的なことであって,端からとやかくいうべきものでは有りません。我々についても,これはやむにやまれぬ感情でやったことです。とがめないでいただきたい。